世界各国の教育費:国際比較、動向、影響要因に関する分析報告書(Gemini)

1. 世界の教育費の定義と測定

1.1 はじめに:教育投資測定の重要性

教育は、個人の成長と社会経済の発展に不可欠な基盤である。各国が教育にどれだけの資源を投入しているかを把握することは、その国の政策的優先順位、資源配分の効率性、そして持続可能な開発目標(SDGs)、特に目標4(質の高い教育をみんなに)の達成に向けた進捗状況を理解する上で極めて重要である。しかし、教育制度や財政構造は国によって大きく異なるため、教育費の国際比較には複雑さが伴う。本報告書では、教育費に関する主要な概念と指標を定義し、国際機関のデータを基に、世界の教育費の現状、動向、影響要因、そして教育成果との関連性について包括的に分析する。

1.2 主要概念:公財政支出、私費負担、家計負担

教育費は、その財源によって大きく公財政支出と私費負担に分類される。

  • 公財政支出(Public Expenditure): 中央政府、地方政府、その他の公的機関による教育機関への支出および教育支援に関連する支出を指す 1。これには、教職員の人件費、校舎・施設の建設・維持費、教材費などの中核的な教育サービス費用に加え、教育行政、奨学金(家計・学生への補助)、教育機関外での支出(例:民間への補助金)も含まれる 1。また、政府が受け取る国際的な援助資金による支出も含まれる 2
  • 私費負担(Private Expenditure): 政府以外の主体による教育への支出であり、主に家計(保護者や学生本人)による授業料やその他の直接的な費用負担と、企業や財団などの民間団体からの寄付などが含まれる 5。特に家計負担は、教育費全体のかなりの部分を占めることがあり、低所得国ではその割合が特に高くなる傾向がある 7。OECDのデータでは、教育機関に対する私費負担に焦点が当てられることが多い 6
  • 総支出(Total Expenditure): 公財政支出と私費負担の合計額である。

1.3 国際比較のための主要指標

教育費を国際的に比較・分析するために、主に以下の指標が用いられる。

  • 教育支出の対GDP(国内総生産)比(Expenditure as % of GDP): 一国の経済規模全体に対して、教育にどれだけの割合の資源が配分されているかを示す指標である 2。国の教育に対する経済的な優先度を測る上で有用であるが、国の経済規模そのものやGDPの変動に影響される側面もある 3。例えば、日本の公財政教育支出の対GDP比は国際的に低い水準にあるとされる 3。世界銀行やUNESCO統計局(UIS)、OECDなどがこの指標のデータを提供している 2
  • 教育支出の対政府総支出比(Expenditure as % of Total Government Expenditure): 政府の予算全体の中で、教育がどれだけ優先されているかを示す指標である 1。政府の教育へのコミットメントを評価する際に用いられる 1。SDG指標1.a.2(必要不可欠なサービスへの政府支出割合)もこの考え方に基づいている 1。UISや世界銀行などがデータを提供している 1
  • 在学者一人当たり教育支出(購買力平価ドル換算)(Expenditure per Student, PPP$): フルタイム換算の在学者一人当たりに投じられている教育資源のレベルを示す指標である 14。各国の物価水準の違いを調整するため、購買力平価(PPP)で換算された米ドルで表示されることが多い 18。学習者一人あたりに利用可能な資源量を比較する上で価値がある 14。UNESCOやOECDがデータを提供している 18

これらの指標は、それぞれ異なる側面を捉えているため、多角的な分析が不可欠である。例えば、ある国が対GDP比で低いランクにあっても、在学者一人当たり支出では平均的な水準を示すことがある。これは、GDP規模が大きい一方で、少子化などにより対象となる在学者数が少ない場合に起こりうる 15。日本の初等中等教育における公財政支出がこの例に該当し、対GDP比は低いものの、児童生徒一人当たり支出額はOECD平均並みかそれ以上であると指摘されている 15。このように、単一の指標だけでは国の教育投資の実態を正確に評価することは困難であり、複数の指標を組み合わせて解釈する必要がある。

1.4 国際機関とデータ標準の役割

信頼性の高い国際比較を行うためには、データの収集と標準化が不可欠であり、以下の国際機関が中心的な役割を担っている。

  • UNESCO統計局(UIS: UNESCO Institute for Statistics): 世界の教育に関する統計データの主要な情報源であり、教育財政に関するデータも収集・提供している 2。年次調査を通じて各国からデータを収集し、国家教育勘定(NEA: National Education Accounts)のような新しい方法論の導入支援やデータ品質向上にも努めている 27。世界銀行やGEM報告書チームとも協力している 29。ただし、依然としてデータの欠落や情報源間での一貫性の課題も存在する 26
  • OECD(経済協力開発機構: Organisation for Economic Co-operation and Development): 加盟国および一部のパートナー国を対象に、教育に関する国際比較可能な指標を「図表でみる教育(Education at a Glance, EAG)」として毎年公表している 3。指標の国際的な調和と標準化に重点を置いている 14
  • 世界銀行(World Bank): 世界の開発に関する広範なデータを収集・提供しており、教育財政統計(EdStats)もその一部である 2。多くの場合、UISのデータを基にしている 2。データ可視化・分析ツールも提供している 13。UIS、GEM報告書チームと共同で「教育財政ウォッチ(EFW: Education Finance Watch)」を発行している 29
  • 国際標準教育分類(ISCED: International Standard Classification of Education): 教育プログラムや資格を国際的に比較可能な形で分類するための枠組みであり、教育財政データの収集・分析においても教育段階の定義に用いられる 1。現行版はISCED 2011である 2

これらの機関による継続的なデータ収集と標準化の努力にもかかわらず、特に私費負担、とりわけ家計による支出に関するデータの網羅性や適時性には依然として課題が残る 26。歴史的なデータについても、収集方法や定義の変遷により一貫性の問題が生じることがある 4。また、公財政支出の定義には政府への国際援助移転が含まれるが 2、政府を経由せずに非国家主体(NGOなど)へ直接供与される援助は、この指標には反映されない可能性がある。これは、特定の国における開発援助全体の教育への影響を、標準的な政府財政指標だけでは過小評価する可能性があることを示唆している。これらの限界を認識した上で、データを解釈することが重要である。

2. 世界の教育支出の状況

2.1 全体像:地域別・所得グループ別支出パターン

世界の教育支出は、地域や国の所得水準によって著しい格差が存在する。高所得国は、低所得国に比べて絶対額(購買力平価ドル換算)で圧倒的に多くの資金を一人当たりの教育に投じている。2020年のデータでは、低所得国の一人当たり年間公財政教育支出が平均53米ドルであったのに対し、高中所得国では1,079米ドル、高所得国では7,787米ドルと、それぞれ約20倍、約150倍もの差があった 26。この絶対的な資源量の差は、教育の質、特に教員の質、教材の利用可能性、学校インフラなどに大きな影響を与える可能性がある。

対GDP比で見ると、低所得国の政府教育支出は2010年代半ばから着実に増加し、2020年には平均3.6%に達した一方、中・高所得国では4.8%前後で推移している 26。しかし、国際的に推奨されるベンチマーク(GDP比4%以上、かつ/または政府総支出比15%以上)に注目すると、低所得国および低中所得国の約40%がこれらの基準を満たしていない状況にある 26

地域別に見ると、例えばラテンアメリカ・カリブ地域では、一人当たり政府教育支出が2010年代半ばの水準を下回る傾向が見られた 26。一方で、南アジアでは同期間に大幅な増加を記録している 26。このように、地域や所得グループの平均値だけでは捉えきれない多様な状況が存在する。

2.2 高支出国と低支出国

教育支出の対GDP比が特に高い国々には、しばしば小島嶼開発途上国や、人的資本への投資を重視する北欧諸国などが含まれる。2023年のデータによると、キリバス(16.39%)、ツバル(15.79%)、ミクロネシア連邦(11.56%)などが上位を占めている 44。これらの国々では、GDP規模が比較的小さい中で、教育が国家の最優先課題の一つとして位置づけられていることが示唆される。スウェーデン(7.12%)、アイスランド(6.75%)、フィンランド(6.54%)、ベルギー(6.36%)、コスタリカ(6.25%)なども高い水準にある 44

一方、対GDP比が低い国々には、急速な経済成長によりGDPが教育支出の伸びを上回っている国、私費負担の割合が高い国、あるいは他の分野(防衛、インフラ等)への支出を優先している国などが考えられる。例えば、ナイジェリア(0.35%)、ジンバブエ(0.38%)、ハイチ(1.07%)、モナコ(1.17%)、ラオス(1.23%)、インドネシア(1.28%)などは、2023年時点で対GDP比が2%未満と低い水準にある 44

ただし、前述の通り、対GDP比が高いことが必ずしも一人当たり支出額の高さに直結するわけではない。キリバスのような国は対GDP比では世界最高水準だが、GDPそのものが小さいため、一人当たりに利用可能な絶対的な資源量は高所得国に比べて依然として低い可能性がある。対GDP比は国の「努力度」を示す一方で、一人当たり支出(PPPドル)は学習者一人あたりに実際に利用可能な資源量をより直接的に反映するため、両者を合わせて評価することが重要である 26

2.3 主要国の比較分析:G7、BRICS、その他

G7やBRICSといった主要経済大国の教育支出を比較すると、多様なパターンが見られる。

表1: 主要国および特定国の教育支出比較(最新利用可能年次)

国名地域/所得グループ公財政教育支出 対GDP比 (%)公財政教育支出 対政府総支出比 (%)在学者一人当たり 公財政教育支出 (PPP$)備考 (年次等)
G7
カナダ高所得国4.544.8 (高等教育)対GDP比(2023) 44, 対政府支出比(1997) 12
フランス高所得国5.431.8 (高等教育)対GDP比(2023) 44, 対政府支出比(1997) 12
ドイツ高所得国4.472.1 (高等教育)対GDP比(2023) 44, 対政府支出比(1997) 12
イタリア高所得国3.961.4 (高等教育)対GDP比(2023) 44, 対政府支出比(1997) 12
日本高所得国3.241.5 (高等教育)約11,000 (初・中等) / 約14,500 (高等)対GDP比(2023) 44, 対政府支出比(1997) 12, 一人当たり 18
イギリス高所得国4.922.7 (高等教育)対GDP比(2023) 44, 対政府支出比(1997) 12
アメリカ合衆国高所得国5.383.3 (高等教育)19,973 (全体) / 36,172 (高等)対GDP比(2023) 44, 対政府支出比(1997) 12, 一人当たり 21
BRICS
ブラジル高中所得国5.50対GDP比(2023) 44
ロシア高中所得国4.05対GDP比(2023) 44
インド低中所得国4.10対GDP比(2023) 44
中国高中所得国4.02対GDP比(2023) 44
南アフリカ高中所得国6.15対GDP比(2023) 44
その他
キリバス低中所得国16.39対GDP比(2023) 44
スウェーデン高所得国7.122.9 (高等教育)対GDP比(2023) 44, 対政府支出比(1997) 12
ナイジェリア低中所得国0.35対GDP比(2023) 44
平均/参考
OECD平均約4.9-5.4約10,500 (初・中等) / 約17,100 (高等)対GDP比 3, 一人当たり 14
低所得国平均低所得国3.653 (全体)対GDP比・一人当たり 26
高所得国平均高所得国約4.87,787 (全体)対GDP比・一人当たり 26

注: 表中のデータは利用可能な最新年次のものを示しており、年次が異なる場合がある。対政府総支出比は高等教育のみの古いデータの場合がある。一人当たり支出はPPPドル換算。出典: 3

分析:

  • G7: G7諸国内でも対GDP比にはばらつきが見られる。フランス、アメリカ、カナダ(古いデータ)、イギリスはOECD平均に近いかやや高い水準にある一方、ドイツ、イタリア、特に日本はOECD平均を下回る傾向がある 3。アメリカは一人当たり支出額ではOECD平均を大きく上回るが、国内(州ごと)の格差が大きい点も指摘されている 21。日本は対GDP比、対政府総支出比(高等教育)ともに低いが、一人当たり支出(初等中等教育)は平均並みである 3
  • BRICS: BRICS諸国では、南アフリカとブラジルが比較的高い対GDP比を示している一方、インド、中国、ロシアは4%台前半である 44。これらの国々は経済成長段階や人口動態が大きく異なり、教育への投資戦略も多様であると考えられる。
  • 支出の優先度: 対GDP比と対政府総支出比を比較すると、国の財政規模に対する教育の優先度が見えてくる。例えば、政府総支出に占める教育費の割合が高くても、政府全体の規模がGDPに対して小さい場合、教育費の対GDP比は低くなる可能性がある。逆に、政府規模が大きくても教育への配分比率が低ければ、対GDP比も低くなる。両指標を合わせて分析することで、支出水準が財政能力の問題なのか、政策的優先順位の問題なのかをより深く理解できる 1

地域や所得グループの平均値は参考になるが、個々の国の状況は大きく異なる。例えば、ラテンアメリカ地域内でもボリビア(8.32%)とパラグアイ(3.41%)では対GDP比に大きな差がある 44。したがって、政策立案や国際比較においては、平均値だけでなく、国別の詳細なデータと、その背景にある経済的、社会的、政治的文脈を考慮することが不可欠である 21

3. 教育費における公私負担の割合

3.1 世界的な傾向:変化するバランス

教育費の財源は、公的機関(政府)と私的部門(家計、企業、民間団体など)によって分担されている。OECD加盟国の平均を見ると、教育機関への全支出のうち約84%が公財政支出によって賄われている 5。しかし、この割合は教育段階や国によって大きく異なる。

近年、多くの国で教育に対する需要が高まる一方で、公的財源だけではその需要を満たすことが困難になってきている 5。その結果、家計による教育費負担が増加する傾向が見られ、OECD加盟国の多く(4分の3以上)で、2000年から2010年の間に私費負担の増加率が公財政支出の増加率を上回った 5。これは、教育費負担における公私のバランスが、徐々に私的負担の方向へシフトしている可能性を示唆している。

3.2 教育段階別の負担割合

教育段階によって、公費と私費の負担割合は大きく異なる。

  • 就学前教育: OECD平均では、私費負担割合が18%であり、初等中等教育よりも高い 5。これは、就学前教育が義務教育ではない国が多く、保育料などの形で家計負担が生じやすいためと考えられる。特に日本では、この段階での私費負担割合がOECD諸国中で最も高い水準にある 6。これは、質の高い幼児教育へのアクセスにおける公平性の課題につながる可能性がある 35
  • 初等中等教育: 義務教育段階を含むため、多くの国で公財政支出が中心となっている。OECD平均では、支出の約90%が公費で賄われている 14。日本もこの段階では私費負担割合がOECD平均より低く、比較的公的支援が手厚いと言える 6。高校授業料の実質無償化などの政策も、この傾向を強めている 6
  • 高等教育(大学など): 公私負担の割合が国によって最も大きく異なる段階である。OECD平均では私費負担割合が31-32%と比較的高く 5、公費負担割合は平均で7割程度である 17。しかし、国によっては私費負担が半数以上を占める一方、北欧諸国のようにほぼ全額公費で賄われている国もある 10

3.3 私費負担が高い国々の事例

特に高等教育において、私費負担(家計負担)の割合が著しく高い国々が存在する。

表2: 教育機関への支出における公私負担割合(教育段階別、OECD主要国、最新利用可能年次)

国名就学前教育 (%) (公/私)初等中等教育 (%) (公/私)高等教育 (%) (公/私)備考 (年次等)
高私費負担国
日本43.4 / 56.691.2 / 8.832.2 / 67.82009年データ 6, 高等教育の公費負担率は約3割強 11
韓国– / –– / –低 / 高 (約45% / 55%?)高い私費負担 5, 家計負担51% 10
チリ– / –– / –低 / 高 (約45% / 55%?)高い私費負担 5, 家計負担55% 10
イギリス– / –– / –中 / 高高い私費負担 5
アメリカ合衆国– / –92 / 8中 / 高初等中等私費8% 21, 高等教育も私費負担大
中程度/混合型
オーストラリア– / –– / –中 / 中家計負担増 10
ドイツ– / –高 / 低高 / 低
フランス– / –高 / 低高 / 低
高公費負担国
フィンランド高 / 低高 / 低95 / 5高等教育私費5% 45
スウェーデン高 / 低高 / 低高 / 低 (ほぼゼロ)家計負担ほぼゼロ 10
OECD平均77.6 / 22.4 (私費18% 5)80.7 / 19.3 (公費90% 14)67.8 / 32.2 (私費31-32% 5)2009年 6, 他年次データも参照

注: 表中のデータは主に 6 (2009年)5 に基づく。国や年次によって定義やデータ利用可能性が異なるため、あくまで傾向を示すものである。韓国・チリの高等教育負担割合はおおよその推定値。

  • 日本: 高等教育における私費負担割合が67%とOECD諸国で最も高く、平均(31%)の2倍以上である 6。公財政支出の割合は3割強に過ぎず、OECD平均(7割)の半分程度である 11。就学前教育でも私費負担割合がOECDで最も高い 6。家計負担が51%と半分以上を占める 10。これは、私立大学への依存度が高いことや、公的補助が相対的に少ないことが背景にあるとされる 10
  • 韓国・チリ: 日本と同様に高等教育における家計負担割合が非常に高い 5。これも私立セクターの比率の高さと公的補助の少なさが要因として挙げられている 10
  • イギリス・アメリカ合衆国: これらの国々でも高等教育における私費負担は相当程度存在する 5。特にイギリスでは近年の授業料値上げが家計負担増につながっている 10。アメリカでは州立大学でも授業料負担があり、私立大学の比率も高い。

これらの国々では、高等教育を受けるための費用が個々の家庭に重くのしかかっている状況がうかがえる。

3.4 公平性とアクセスへの影響

教育費負担における私費、特に家計負担の割合が高いことは、教育の機会均等やアクセスに対する深刻な課題をもたらす可能性がある。

  • アクセス障壁: 高額な授業料や関連費用は、低所得世帯の学生にとって高等教育への進学を断念させる要因となりうる 5。これは、個人の能力や意欲に関わらず、経済的な理由で教育機会が制限されることを意味し、社会全体の人的資本形成にとっても損失となる。
  • 進路選択への影響: 経済的な負担を懸念する学生は、本来希望する分野や教育機関ではなく、より費用の安い選択肢を選ばざるを得ない場合がある。
  • 学生ローンと債務: 高等教育費用を賄うために学生ローンを利用する学生が増加し、卒業後の債務負担が若者の生活設計に影響を与える問題も指摘されている。
  • 社会的格差の固定化: 教育機会が経済力によって左右される状況は、親の社会経済的地位が子どもの世代に引き継がれる傾向を強め、社会移動性を低下させる可能性がある 14

これらの課題に対応するためには、授業料の抑制や無償化、あるいは奨学金(特に返済不要の給付型奨学金)や学生ローン制度の拡充といった、家計負担を軽減するための公的な支援策が重要となる 3。しかし、世界的に見ても、公平な教育財政メカニズムを備えている国は全体の20%に過ぎないという指摘もある 7

また、初等中等教育段階においても、公費負担が中心であっても、塾や習い事といった学校外教育費(制度的支出データには通常含まれない)への支出が一般化している場合、実質的な家計負担が生じ、それが教育格差につながる可能性も考慮する必要がある。日本の「塾社会」はその一例であり、制度上の公費負担率だけでは見えない公平性の課題が存在しうる [6 (footnote), 64]。私費負担の増加傾向 5 は、こうした見えにくい格差をさらに助長するリスクもはらんでいる。

4. 教育支出の動向と変遷

4.1 長期的な歴史的トレンド

多くの先進国では、第二次世界大戦後、経済成長と教育の普及に伴い、公財政教育支出がGDPに占める割合は長期的に増加する傾向にあった 4。教育が経済発展と社会進歩の鍵であるとの認識が広まり、義務教育の拡大や高等教育へのアクセス機会の増加が図られた時期である。しかし、この増加傾向は一様ではなく、国や時代によって停滞期や減少期も見られる 4

例えば、日本においては、1970年代半ばから後半にかけて高等教育への公財政支出(対GDP比)が著しく上昇したが、1980年代以降は大きく下降し、その後は停滞傾向が続いている 9。これは、経済状況の変化や政策方針の転換などが影響したと考えられる。

4.2 近年の動向(2000年以降)

21世紀に入ってからも、教育支出の動向は国や地域によって様々である。OECD諸国の多くでは、2000年から2010年にかけて公財政教育支出が増加したが、その伸び率には大きな差があった 5。日本はこの期間、OECD平均に比べて伸び率が低かったと指摘されている 9

2010年代、パンデミック以前の時期を見ると、一部の地域や所得グループでは一人当たり教育支出の伸びが鈍化、あるいは減少する傾向が見られた。例えば、ラテンアメリカ・カリブ地域や一部の中所得国では、一人当たり政府教育支出が2010年代半ばの水準を下回っていた 26。在学者一人当たり支出も、多くのOECD諸国で増加してきたが、近年は伸びが鈍化する可能性も示唆されている 21

4.3 経済危機とCOVID-19パンデミックの影響

教育支出は、経済危機やパンデミックのような外的ショックの影響を受けやすい。

  • 2008年金融危機: この危機後、一部の国では財政緊縮策が取られ、教育予算が削減された例がある(例:アメリカの州立大学予算削減)9。一方で、日本のように比較的安定した推移を見せた国もあるが、これは変動が少ない反面、経済成長期における投資の伸び悩みにもつながる「両刃の剣」であったとも言える 9。また、経済危機によってGDPが急激に落ち込んだ場合、実質的な支出が減少していても、見かけ上、対GDP比が上昇することもある点に注意が必要である 3
  • COVID-19パンデミック: パンデミックは教育財政に複雑な影響を与えた。初期段階(2020年)において、低所得国および低中所得国の40%が教育支出を削減し、一人当たり支出も低中所得国(LMICs)および高中所得国(UMICs)で平均的に減少した 26。パンデミックによる学習損失からの回復には追加的な資源が必要とされるが、多くの国、特に低・中所得国では、パンデミック後の財政的圧力により、十分な教育支出を維持・増加させることが困難になる懸念が示されている 26。在学者一人当たり支出の伸びも、多くの国でパンデミック初年度に鈍化またはマイナスに転じた 21。学校閉鎖や教員の欠勤といった混乱も教育プロセスに影響を与えた 34
  • 国際援助への影響: 教育分野への政府開発援助(ODA)の絶対額は2022年に過去最高を記録したが、ODA総額に占める教育の割合は2019年の9.3%から2022年には7.6%へと低下した 7。これは、エネルギー、ウクライナ支援、保健医療など、他の分野への援助が優先された結果と考えられ、特に援助依存度の高い国々の教育財政にとって懸念材料となっている 32

経済危機やパンデミックは、特に財政基盤の弱い低所得国・中所得国の教育支出に大きな打撃を与える傾向がある。日本の1980年代以降の停滞した支出のように、安定性が必ずしも最適とは限らず、国際的な投資動向や国内の教育ニーズの高まりから取り残されるリスクもある 9。近年のパンデミック前後の動向は、多く地域・所得グループで一人当たり教育支出の伸び悩みや減少を示唆しており、SDG4達成、特にパンデミックによる学習損失からの回復に向けた取り組みを危うくする可能性がある 26。さらに、国際援助における教育の優先順位の低下 7 は、援助に頼る国々の持続的な教育発展を脅かす可能性がある。

5. 各国の教育支出水準に影響を与える要因

一国の教育支出の水準は、単一の要因ではなく、経済的、人口動態的、そして政策的な要因が複雑に絡み合って決定される。

5.1 経済発展レベル(一人当たりGDP)

一般的に、経済的に豊かな国(一人当たりGDPが高い国)は、絶対額で見ると一人当たりの教育支出が多い傾向がある 26。経済成長は、教育を含む公共サービスへの投資拡大を可能にする潜在力をもたらす。しかし、経済力があるからといって、自動的に教育支出が高くなるわけではない。国の政策的優先順位や他の支出ニーズとの兼ね合いによって、実際の配分は大きく左右される。

5.2 人口動態要因

  • 学齢人口: 学齢人口(子どもや若者の数)の規模や増減は、教育支出に大きな影響を与える。学齢人口が多い、あるいは急速に増加している国では、教育へのアクセスを拡大・維持するためだけでも多額の支出が必要となり、一人当たりにかけられる資源が圧迫される可能性がある。逆に、日本のように少子化が進み学齢人口が減少している国では、全体の教育予算が横ばいであっても、一人当たり支出額は安定または増加することがある 15。ただし、これは自動的な結果ではなく、少子化によって生じた財源が教育の質の向上や新たなニーズ(例:個別化教育、ICT化)に再投資されるか、あるいは他の分野(例:高齢化に伴う社会保障費)に振り向けられるかは、政策判断に依存する 50。人口動態の変化が将来の財政に与える影響予測も重要である 30
  • 人口構造(高齢化): 先進国を中心に進む高齢化は、年金や医療費といった社会保障関連支出への圧力を高め、教育予算との間で財源獲得競争が生じる可能性がある。

5.3 政府の政策優先順位と財政状況

  • 政治的意思とリーダーシップ: 教育が国家の発展戦略においてどれだけ重要視されているか、政治的なリーダーシップが教育投資をどれだけ推進するかが、予算配分(特に対政府総支出比)に直接影響する 1。しかし、教育大臣の任期が短い場合が多く(半数が2年以内に交代 51)、長期的な視点に立った安定的な投資計画が立てにくいという課題もある。
  • 財政能力: 政府が税金などを通じてどれだけ歳入を確保できるか(財政能力)が、公共支出全体の規模、ひいては教育に配分できる額の上限を決定する要因となる 2。GDP規模が同程度の国でも、税制や徴税能力の違いによって教育支出の水準が異なることがある。
  • 公的債務: 多額の公的債務を抱え、その利払いに追われる国々、特に低所得国では、教育のような必要不可欠な公共サービスへの支出が抑制される「クラウディング・アウト」が生じやすい 32。一部の国では、債務返済額が教育支出額を上回る状況にあり 43、これは持続的な教育投資にとって深刻な構造的障壁となっている。債務を教育投資に転換する「債務スワップ」のような革新的な資金調達メカニズムも提案されている 43
  • ファンディング・モデル: 政府が教育機関に直接資金を提供するのか、あるいは学生や家計に対して補助金、バウチャー、ローンなどの形で支援するのかといった資金配分モデルの違いも、公私負担のバランスや支出構造全体に影響を与える 3

これらの要因は相互に関連している。例えば、経済発展は財政能力を高めるが、同時に高齢化が進むと社会保障費への圧力が増す。政治的意思があっても、深刻な債務問題があれば投資は制約される。したがって、各国の教育支出水準を理解するには、これらの要因を総合的に考慮する必要がある。

6. 教育支出と教育成果

教育への投資が、学習到達度や識字率、修了率といった教育成果にどのようにつながるのかは、政策立案者や研究者にとって長年の関心事である。

6.1 支出と成果の関連性:複雑な関係

直感的には、教育支出を増やせば教育の質が向上し、成果も上がると考えられがちである。実際、ある程度の正の相関関係を示唆する研究も存在するが、その関係は単純な比例関係ではなく、非常に複雑である。

  • 非線形性: 特に、支出レベルが低い段階では、支出増が成果向上につながりやすい傾向がある。しかし、一定の水準を超えると、追加的な支出がもたらす成果向上の度合い(限界効果)は小さくなる、あるいは見られなくなる可能性がある(収穫逓減)。
  • 文脈依存性: 支出の効果は、国の発展段階、既存の教育システムの質、社会経済的背景など、様々な文脈要因によって左右される。
  • 支出以外の要因: PISA(学習到達度調査)などの国際比較を見ると、必ずしも支出額が多い国が高い成績を収めているわけではない。例えば、日本は一人当たり教育支出(6-15歳)がアメリカより約30%少ないにもかかわらず、PISAの数学的リテラシーではアメリカを上回る成績を示している。これは、カリキュラム、教員の質、指導法、家庭環境、そして教育リーダーシップといった、支出以外の要因が教育成果に大きく影響することを示唆している 51。特に、教育リーダーシップは、教員に次いで学習成果に影響を与える第二の要因として重要視されている 51

6.2 総支出額を超えて:効率性と公平性

教育成果を向上させるためには、「いくら支出するか」だけでなく、「どのように支出するか」が決定的に重要である 7

  • 効率性(Efficiency): 限られた資源を最大限に活用するためには、効率的な資源配分が不可欠である。具体的には、費用対効果の高い教育プログラムへの重点投資、公共財政管理(PFM)の改善、学校運営の最適化(教員のパフォーマンス向上や資源の有効活用など)が求められる 32。非効率な支出や資源の浪費(例:使われないソフトウェアライセンス 55)は、成果向上を妨げる要因となる。
  • 公平性(Equity): 教育資源が公平に分配され、社会経済的背景、居住地域、性別、障害の有無などに関わらず、すべての学習者が必要な支援を受けられるようにすることが極めて重要である 7。学習成果には、家庭の社会経済的背景が依然として大きな影響を与えている 14。不利な立場にある学習者への重点的な資源配分(Targeted funding)は、格差是正と全体の底上げにつながる。しかし、公平な財政メカニズムを持つ国は少ないのが現状である 7。教育支出は公平性に焦点を当てるべきであるとの提言がなされている 7

6.3 特定の成果と支出の関係

  • 学習成果(PISA、TIMSS、PIRLS、識字率): 国際学力調査の結果と支出レベルとの間には、明確で一貫した関係が見られないことが多い 14。前述の通り、支出以外の要因の影響が大きい。
  • 修了率・達成度: 教育へのアクセス拡大や修了率向上には、一定レベルの公的支出が不可欠であると考えられる 14。特に基礎教育の普及には公的資金が重要な役割を果たす。高等教育の達成度は、個人の雇用機会や収入向上と強く関連していることが多くの国で示されており 14、教育達成を可能にするための十分な資金提供(アクセスと修了支援を含む)は、社会全体にとっても価値があると言える。
  • アクセス・就学率: 公的資金による教育機会の提供は、特に初等・中等教育レベルでの就学率向上に貢献してきた 14

結論として、教育支出は教育成果を向上させるための必要条件の一つではあるが、十分条件ではない。支出の「量」だけでなく、「質」(効率性)と「配分」(公平性)が極めて重要である。学習到達度の低迷や格差によって生じる将来的な経済的損失(生涯賃金で21兆ドル相当との試算もある 48)を考慮すると、教育への投資は単なる社会的費用ではなく、将来の経済成長と安定のための不可欠な投資であるという経済的合理性も存在する 53。したがって、政策決定においては、単に予算規模を議論するだけでなく、資源配分の戦略、プログラムの有効性評価、教員・リーダーシップへの投資、そして不利な立場にある学習者への支援策といった、より踏み込んだ議論が求められる。

7. 総合的な考察と主要な結論

7.1 要約:世界の教育財政の全体像

本報告書で分析したように、世界の教育費支出は極めて多様な様相を呈している。

  • 格差: 国の所得水準によって、一人当たりに投じられる教育資源の絶対額には埋めがたいほどの格差が存在する 26。高所得国と低所得国の間では、一人当たり支出に100倍以上の差が見られる。
  • 資金不足: 特に低所得国および低中所得国では、SDG4達成に必要な年間約970億ドルの資金ギャップが存在し、目標達成が危ぶまれている 7。多くの国が国際的な支出ベンチマークを下回っている 26
  • 公私負担: 教育費の負担は公的部門と私的部門(主に家計)に分かれるが、その割合は国や教育段階によって大きく異なる。特に高等教育や就学前教育では、日本や韓国、チリなどのように私費負担が極めて高い国が存在し、公平性の観点から課題となっている 5

7.2 主要な動向と影響要因

教育支出は静的なものではなく、様々な要因によって変動する。

  • 動向: 長期的には多くの国で教育支出は増加してきたが、近年は経済危機やパンデミックの影響を受け、特に低・中所得国で支出削減や伸び悩みの傾向が見られる 9。国際援助における教育の優先度低下も懸念材料である 7
  • 影響要因: 経済発展レベル、人口動態(学齢人口の増減、高齢化)、そして政府の政策優先順位や財政状況(特に公的債務の負担)が、各国の教育支出水準を左右する主要な要因である 26

7.3 支出、公平性、成果:本質的課題

教育投資の最終的な目標は、質の高い学習機会をすべての人々に提供し、良好な教育成果を達成することである。

  • 支出と成果の関係: 教育支出の増加は必ずしも成果向上を保証しない。支出の「量」だけでなく、「効率性」と「公平性」が決定的に重要である 7
  • 経済的合理性: 教育への効果的な投資は、個人の所得向上や貧困削減、ひいては国全体の経済成長に貢献する。学習機会の損失は、将来的に莫大な経済的損失をもたらす可能性がある 48

7.4 結論と政策的含意

世界の教育目標達成に向けて、教育財政に関する以下の点が重要となる。

  1. 国内資源の動員強化: 各国、特に低・中所得国は、持続可能な教育財政基盤を確立するため、国内資源(税収など)の動員を強化し、国際的な支出ベンチマーク(対GDP比4%以上、対政府総支出比15%以上など)の達成を目指すべきである 7
  2. 公平性の重視: 財政メカニズムの設計において、公平性を最優先課題と位置づける必要がある。不利な立場にある学習者や地域、学校に対して、重点的に資源が配分されるような仕組み(例:ニーズに基づいた配分式)を導入・強化することが求められる 7
  3. 効率性の向上: 支出の効果を最大化するため、エビデンスに基づいた政策決定、費用対効果の高いプログラムの選択、公共財政管理の改善、学校運営の効率化などを推進する必要がある 32
  4. データとモニタリングの改善: 教育財政に関する、より詳細で信頼性の高いデータの収集・分析体制を強化することが不可欠である。特に、私費負担(家計負担)の実態把握や、支出と教育成果との関連性を追跡・評価するためのデータ整備が急務である 26
  5. 国際協力の強化: 国際社会は、資金ギャップに苦しむ国々への支援を継続・強化する必要がある。これには、十分かつ効果的にターゲットを絞ったODAの供与や、債務問題に苦しむ国々に対する債務救済や債務スワップなどの革新的な解決策の検討が含まれる 32

結論として、教育への戦略的、公平かつ効率的な投資は、SDG4「質の高い教育をみんなに」の達成のみならず、より広範な持続可能な開発目標を実現するための根幹である。各国政府、国際機関、市民社会が連携し、教育財政の課題に真摯に取り組み、すべての子どもたちと若者が質の高い教育を受ける権利を保障していくことが強く求められる。

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