I. はじめに:危機に瀕する保育園経営の現状
日本の保育園運営事業者は、近年、かつてない経営の危機に直面しており、その顕著な兆候として倒産・休廃業件数の急増が挙げられます。株式会社帝国データバンクの調査によれば、2025年上半期(1-6月)における保育園運営事業者の倒産、休廃業、解散件数は22件に達し、前年同期の13件を大幅に上回っています 1。このペースで推移すれば、通年で過去最多を更新する可能性が高いと指摘されています 1。
この経営難の背景には、「保育士不足」の深刻化と「運営コスト増による赤字経営」が挙げられています。調査対象の約3割の事業者が赤字に陥っている現状が浮き彫りになっており、これは保育サービス提供のシステムが根本的な脆弱性を抱えていることを示唆しています 2。保育園の倒産や休廃業は、単に事業者側の問題に留まらず、保護者の保育サービス利用の安定性を脅かし、ひいては社会全体の少子化対策や女性の社会進出に負の影響を与える可能性があります。保育サービスが社会インフラとしての役割を果たす上で、その供給基盤自体が揺らいでいる状況です。
さらに、「保育園」の倒産・廃業が3年連続で増加し、2025年は過去最多ペースで推移しているという事実は、問題が一時的なものではなく、慢性化していることを浮き彫りにしています 2。これまでにも保育士の処遇改善や保育施設の拡充といった対策が講じられてきたにもかかわらず、倒産件数が過去最高を更新する可能性があるということは、既存の対策が根本的な経営課題を解決できていないか、あるいは物価高騰や少子化の加速といった新たな課題が対策の効果を上回っている可能性を示唆しています。この状況は、政策立案者や経営者が、これまでのアプローチの限界を認識し、より抜本的かつ多角的な視点から問題解決に取り組む必要性が高まっていることを意味します。
本レポートは、日本の保育園経営が直面する複合的な課題を深く掘り下げ、その持続可能性を確保するための具体的な戦略的提言を行うことを目的とします。特に、保育園経営者が取り組むべき経営改善策と、行政が果たすべき政策的役割に焦点を当て、両者の協働による未来志向の保育システム構築の重要性を論じます。本レポートは、まず保育園経営の主要課題を「経営の安定性」「人材問題」「保育の質と多様化ニーズ」の3つの側面から詳細に分析し、次にこれらの課題に対する保育園経営者への戦略的提案を提示します。最後に、行政が果たすべき役割と具体的な政策提言を多角的に展開します。
II. 保育園経営が直面する主要課題の深掘り
2.1 経営の安定性を脅かす要因
保育園運営事業者の約3割が赤字経営に陥っている現状は、運営コストの増大と収益構造の脆弱性が主な要因となっています 2。
2.1.1 運営コストの増大と収益構造の脆弱性
特に「食材費・光熱費高騰によるコスト増」は、幼保施設の67.1%が主要な懸念点として挙げています 3。1食あたり平均81円のコスト増が発生しており、これは定員120名の施設で月20万円、年間約240万円ものコスト増に相当します 3。管理栄養士・栄養士のほぼ99.6%が食材費の値上がりを実感しており、約7割が物価高騰によるメニュー開発や献立に悩みを抱えています 4。この状況は、50%の施設で「同じ食材、メニューを使う頻度が増えた」と回答させ、32.6%が「提供している給食の質への自身の満足度が下がった」と回答する結果につながっています 4。給食は子どもの成長に不可欠な要素であり、その質の低下は直接的に保育の質に影響を及ぼし、保護者の満足度低下にもつながりかねません。これは、コスト増が単なる財務問題に留まらず、保育の根幹である子どもの健全な成長支援にまで負の影響を与えていることを示しています。
保育園の主な収入源は保育料と補助金であり、一般企業と比べて収入見込みを劇的に改善することが難しい構造にあります 5。この固定的な収益構造は、急激なコスト増に対応するための柔軟性を欠き、経営を圧迫する大きな要因となっています。多くの施設が「保護者からの徴収額を上げることは困難」「補助金も限られている」と感じており、給食にかかるコストと予算の乖離が大きくなっている実態があります 3。収益の固定性とコストの変動性のミスマッチは、保育園が利益を再投資し、保育の質向上や保育士の処遇改善に繋げることを困難にしています。結果として、経営の健全性が損なわれ、保育の質や人材確保といった他の課題にも波及する悪循環が生じています。
2.1.2 経営知識・ノウハウの不足
多くの保育園経営者は、保育の専門家である一方で、経営に関する知識やノウハウが不足している現状があります 6。これは、経営戦略の立案、財務管理、人材マネジメント、会計処理、補助金の最大化、後継者育成といった多岐にわたる経営課題への対応を困難にしています 7。特に、次々と変わる制度や申請・実績報告といった書類業務に追われ、経営者が「目の前の事に必死」になり、「もっと保育の事を考えるための時間が欲しい」と感じているケースも少なくありません 7。
このような経営知識の不足は、財務状況の悪化を招き、必要な設備投資ができない財政状況につながることもあります 8。また、保育士や職員のマネジメントがうまくいかず、組織としての機能不全を引き起こす可能性もあります 7。さらに、企業主導型保育事業においては、業界のノウハウ不足が保育の質の低下や児童の定員割れを引き起こす原因ともなっています 9。例えば、不適切な求人方法や面接対応が保育士不足を招き、結果として児童の確保にも影響が出ることが指摘されています 9。経営知識の不足は、単に収益性の問題に留まらず、保育の質、人材の定着、ひいては園の存続そのものに大きな影響を与え、負のスパイラルを生み出す要因となっています 8。
2.2 深刻化する人材問題
保育業界は、慢性的な人材不足に直面しており、これが保育の質と経営の安定性を脅かす主要な要因となっています。
2.2.1 保育士不足の現状と原因
2024年1月時点の保育士の有効求人倍率は3.54倍と、全職種平均の1.35倍を大きく上回っており、採用難の実態が浮き彫りになっています 10。特に栃木県では7.90倍と高く、最も低い高知県でも1.63倍と、全国的に人手不足が深刻です 10。
保育士不足の主な原因は多岐にわたります。第一に「給料が低い」という経済的な不満が挙げられます 10。保育園が福祉施設であるため、収入を自由に設定できず、人件費に充てられる金額が限られることが背景にあります 11。第二に「業務量が多い」こと、特に「責任が重い」ことや「就業時間が不規則」であること、そして「残業時間が長い」ことが挙げられます 10。園行事や保護者対応、書類業務(連絡帳、日誌、指導案作成など)に多くの時間を要し、午睡中や休憩時間、あるいは持ち帰り仕事で対応することも珍しくありません 10。これにより、プライベートの確保が困難となり、労働時間の適正化が求められています 10。第三に、「職場の人間関係に不安がある」という問題も指摘されています 10。閉鎖的な環境で同性の職員が多く、責任の重さや人手不足による負担増がストレスを蓄積させ、人間関係の問題を引き起こしやすいとされています 11。
これらの要因により、保育士資格を持ちながら保育職に就いていない「潜在保育士」が約95万人も存在し、資格保有者の約6割にものぼると言われています 10。潜在保育士が働かない理由も、給与の低さ、長時間労働、責任の重さなどが挙げられています 10。この潜在保育士の存在は、保育士不足の規模をさらに拡大させています 10。
2.2.2 労働環境の悪化と離職率への影響
保育士不足は、残された職員一人ひとりの業務負担を増大させ、労働環境のさらなる悪化につながる悪循環を生み出しています 11。労働条件や労働環境の悪さが離職者を増やし、結果として「保育士になりたい」と考える現役世代の減少にも拍車をかけています 11。私立保育園の離職率は公立保育園に比べてやや高めであり、園によって保育方針や待遇が異なることが影響していると考えられます 11。
この労働環境の悪化は、保育士が子どもと向き合う時間を奪い、保育の質の低下を招くことにもつながります 12。業務過多により、個々の子どもへのきめ細やかな対応が難しくなり、保育士の精神的・身体的負担が増大します 10。これは、単に保育士の個人的な問題に留まらず、子どもたちの成長環境にも直接的な影響を与えるため、喫緊の課題として捉える必要があります。
2.3 保育の質と多様化するニーズへの対応
保育園経営は、少子化による園児数減少と、保護者の多様なニーズへの対応という二重の課題に直面しています。
2.3.1 少子化による園児数減少と競争激化
少子化は保育園経営に深刻な影響を与えています。第一に、園児数の減少が直接的な収益減につながっています 14。0歳児の申込者数は2019年から減少傾向にあり、2023年には前年度から9,479人の大幅な減少が見られます 15。2022年の出生数は過去最低を記録し、2023年もさらに減少する可能性が高いとされており、この減少は数年後の園児募集に確実に影響を与えます 14。かつては満員が当たり前だった0歳児クラスも、近年は希望者が少ないと頭を抱える経営者が増えています 14。
第二に、待機児童の解消傾向に伴い、保護者が保育施設を選べる時代へと変化し、保育園間の競争が激化しています 14。待機児童数は平成29年の2万6,081人から令和4年には2,944人へと約1/8に減少し、問題は改善傾向にあります 10。しかし、これは同時に、園児獲得競争が激しくなることを意味し、定員充足数が毎年約1%ずつ下がっている現状は、園経営にとって非常に厳しい状況です 14。
2.3.2 保育の質の確保と多様なニーズへの対応
保護者のニーズは多様化しており、保育園にはより幅広いサービスや高水準の保育環境が求められています 16。独自の教育プログラム、食育、英語やプログラミング教育の導入など、他園との差別化が重要な要素となっています 16。しかし、コスト増と収益構造の脆弱性の中で、これらの質の向上や多様なニーズへの対応は、経営にさらなる負担をかけることになります。
特に、企業主導型保育事業においては、待機児童問題の解消に期待された一方で、保育の質の低下、保育士不足、児童の定員割れといった問題が相次いでいます 9。知識・経験不足による保育の質の低下や、認知度の低さから保育士が集まらないといった課題が指摘されており 9、監査項目等の周知不足や監査基準の不明確さも運営上の問題となっています 17。定員割れの原因としては、ノウハウ不足による保育の質の低下や、事前のリサーチ不足(例:社員の利用者が少ない)などが挙げられます 9。企業主導型保育事業は制度として発展途上であり、今後も制度見直しが行われる可能性が高く、慎重な参入と運営が求められています 9。
また、保育標準時間・短時間区分の事務負担軽減が期待される一方で、保育の長時間化の懸念も指摘されており 18、医療的ケア児、障害児、外国籍の子どもなど、特別な配慮が必要な子どもへの支援も求められています 18。外国籍の子どもへの対応では、日本語の理解度や宗教・文化・習慣への配慮が必要となり、保護者とのコミュニケーションにも工夫が求められます 19。これらの多様なニーズに応えることは、保育の質の向上に不可欠であるものの、人員配置や専門知識の面で新たな課題を生み出しています。
III. 保育園経営者への戦略的提案
保育園経営が直面する複合的な課題に対し、経営者は多角的な視点から戦略を立て、実行していく必要があります。
3.1 経営の安定化と財務基盤の強化
経営の安定化を図るためには、コスト管理の徹底と収益構造の多角化が不可欠です。
3.1.1 効率的なコスト管理と収益源の多角化
無駄な経費の削減は、収益改善に大きく寄与します 5。電気、ガス、水道といった光熱費は、エネルギー効率の良い設備の導入や適切な設定温度の見直しにより削減可能です 5。食材費については、他の保育園との共同購入や消耗品のまとめ買いによる割引活用が有効です 5。リサイクルの推進や、保育士個人のデバイス利用(セキュリティ対策は必須)も費用軽減につながります 5。保険内容の見直しや、SNSを活用した情報発信による広告費削減も検討すべきです 5。
収益源の多角化も重要です。延長保育や一時預かりサービスの拡充、地域子ども・子育て支援事業への積極的な参加は、新たな収入源を確保し、公益性も高めます 20。また、系列園の開設は、食材の共同購入や事務部門の共通化、研修制度の一括実施などにより、コスト削減と収益性向上に貢献します 20。
3.1.2 経営マネジメント能力の向上とICT活用
経営者は、財務・経営マネジメント能力の向上に努めるべきです 7。予算管理ソフトの活用や会計ソフトとの連携により、収支データの自動更新や予算と実績の比較が容易になり、精度の高い管理が可能となります 21。予算オーバーを防ぐためには、定期的なモニタリング、リスク管理、適正な見積もりが重要です 21。
ICT(情報通信技術)の積極的な導入は、業務効率化とコスト削減に大きく貢献します 5。保育書類の作成デジタル化、保護者との連絡のオンライン化、登降園管理のデジタル化、写真販売のオンライン化、キャッシュレス決済の導入、労務管理のデジタル化などが挙げられます 22。これにより、印刷や配布の手間、集金作業、書類管理の負担が大幅に軽減され、保育士が本来の保育業務に集中できる時間が増加します 22。例えば、ある導入施設では約65%の業務時間削減を実現したケースもあります 23。ICT導入は、職員のストレス軽減、離職率の低下、心理的安全性の高い組織づくりにも寄与します 24。
3.2 人材確保と定着のための戦略
保育士不足と高い離職率という課題に対し、経営者は働きやすい環境の整備とキャリアパスの明確化に注力すべきです。
3.2.1 労働環境の改善とキャリアパスの明確化
保育士の労働環境改善は、人材確保と定着の要です 12。残業時間の削減は喫緊の課題であり、ICTシステムの導入による書類業務の効率化は、その有効な手段の一つです 12。連絡帳のアプリ化や保育風景写真のデジタル化は、事務作業の負担を大幅に軽減し、保育士が子どもと向き合う時間を増やします 25。
シフト・体制表の見直しにより、ノンコンタクトタイム(子どもと直接関わらない時間)やミーティングの時間を確保し、職員のストレスを軽減することが可能です 24。週休二日制の確実な実施や、土曜保育のシフト見直し、1時間単位での有給休暇取得など、柔軟な働き方を導入することも、保育士のワークライフバランスを改善し、定着率向上につながります 11。例えば、まつやま保育園では、国基準の1.5倍の人員配置、土曜保育のシフト見直し、1時間単位の有給休暇取得、駐車場代の園負担、副業許可、髪色の自由化などにより、離職率を大幅に減少させています 29。
キャリアパスの明確化も重要です 29。厚生労働省が制定した「保育士等キャリアアップ研修」のマネジメント研修は、副主任保育士などのミドルリーダーに求められる役割と知識を身につけるためのものであり、園の円滑な運営と保育の質向上に貢献します 30。園として研修制度を導入したり、定期的なミーティングでマネジメントに関する改善点や課題を議論したりすることも、職員のマネジメント能力向上に繋がります 31。キャリアパスを明文化し、入職年数に応じたスキルや収入の目安を提示することで、保育士は自身のキャリア展開を具体的にイメージでき、モチベーション向上につながります 29。定期的な1on1面談を実施し、自己評価と他者評価を行うことで、問題が深刻化する前に対応し、個々の強みを活かした評価を行うことも有効です 29。
3.2.2 潜在保育士の掘り起こしと多様な人材の活用
保育士資格を持ちながら保育現場を離れている潜在保育士の活用は、人材不足解消の鍵となります 10。自治体や保育士支援センターでは、就職準備金貸付、未就学児の保育料貸付、就職支援研修、就職相談会など、復職を支援する制度を整えています 34。経営者はこれらの制度を積極的に活用し、ブランクのある保育士が安心して復職できる環境を整備すべきです。復職支援研修や職場体験の提供、週数回の短時間勤務から始められる柔軟な働き方の導入などが有効です 34。
外国人保育士の受け入れも、人材確保の一つの選択肢です 35。ただし、日本語能力の課題や、宗教・文化・習慣への配慮が必要となります 19。日本語をゆっくりはっきり話す、翻訳ツールを活用する、母国の生活に関する遊びを取り入れる、といった工夫が求められます 19。行政と連携し、外国人相談員の派遣などの支援を活用することも重要です 19。
3.3 保育の質の向上と差別化戦略
激化する競争環境において、保護者に選ばれる園となるためには、保育の質の向上と明確な差別化戦略が不可欠です。
3.3.1 独自の保育プログラムと施設の魅力向上
独自の保育プログラムの導入は、他園との差別化を図る上で強力な武器となります 16。地域のニーズに応じた特色あるカリキュラム(例:農村地域での食育と畑作業体験、都市部での美術館や図書館との連携による学習機会)は、子どもの好奇心を刺激し、保護者からも高く評価されます 16。例えば、みやの森こども園では、大きなホールや配信スタジオ、床暖システムといった設備にこだわり、ポニーや羊との触れ合いも提供しています 36。かしまだ保育園は、廊下のない風車状の保育室で保育士間の連携や異年齢交流を促進しています 36。小郡幼稚園は「山のようちえん」として、畑仕事を通して地球の循環を学ぶなど、自然を生かした体験を提供しています 36。小浜こども園は「海×音楽×アート」をコンセプトに、海が見渡せるランチルームや絵画専用の部屋などを充実させています 36。
施設や設備の工夫も重要です 16。子どもが落ち着いて過ごせる静かな場所の確保や、興味関心が高まるおもちゃや絵本の充実、壁や窓の装飾への配慮も、保育の質を高めます 37。ユニバーサルデザインの視点を取り入れた空間設計(例:幅広の廊下、スロープ、多目的トイレ)や、視線や音をコントロールできる設計(例:パーテーション、吸音材)も、すべての子どもが安心して過ごせる環境を提供します 38。
3.3.2 デジタルマーケティングと地域連携の強化
園の魅力を効果的に発信するためには、デジタルマーケティング戦略が不可欠です 5。ホームページやSNS(Instagram, Facebookなど)を活用し、日々の活動や園の雰囲気を写真や動画でリアルタイムに伝えることで、保護者の信頼を得やすくなります 16。Googleビジネスプロフィール(旧Googleマイビジネス)の活用も、園情報の表示を強化し、園見学や問い合わせの増加につながります 39。メールマーケティングによる情報提供や、園のブログ・コラム記事で専門性をアピールすることも有効です 39。
地域との連携を強化することも、園のブランド力向上に繋がります 40。地元の商店や企業と連携し、地域イベントに積極的に参加することで、地域住民や企業とのつながりが深まり、園の信頼度が向上します 40。例えば、地元農家と提携した「食育プログラム」は、地域住民や企業との結びつきを強め、新たな入園希望者増加につながった事例があります 40。園庭開放や育児相談会、セミナー開催などを通じて、地域の子育て支援拠点としての役割を果たすことも重要です 16。まちの保育園・こども園は、地域住民、外国人、ビジネスパーソンとの交流を促す「地域交流拠点」としての役割を担い、屋上菜園や大学との連携など、多様な地域連携を実践しています 42。
3.4 多機能化による新たな価値創造
少子化と多様なニーズに対応するため、保育園は既存の枠を超えた多機能化を検討すべきです。
3.4.1 幼老複合施設や他サービスとの連携
高齢者施設との併設は、幼老複合施設として世代を超えた交流を可能にし、地域全体の絆を深めます 43。これにより、法人の収益源が多角化され、経営の安定化に貢献します 45。また、幅広いサービス提供は、働きがいのある職場環境を作り出し、人材確保・定着にも寄与します 45。ただし、感染症リスクや世代間のニーズの違い、スタッフの専門性確保といった課題にも対応が必要です 46。徹底した衛生管理、適切なゾーニング、プログラムの工夫、継続的な研修、多職種連携が解決策となります 47。
産後ケアの導入や、児童発達支援・放課後等デイサービスの併設も、多機能化の具体例です 45。これにより、子育て支援の幅を広げ、発達障害児の支援体制を強化し、地域の子育て支援ネットワークの中核を担うことができます 45。
3.4.2 地域共生社会における保育園の役割
保育園は、単に子どもを預かる施設に留まらず、地域の子育て支援の拠点としての役割を果たすことが求められています 41。核家族化が進む中で、育児の不安や悩みを抱える親御さんが多いため、保育園が子育てサロンを運営したり、一時預かりサービスを提供したりすることで、保護者の孤立を防ぎ、リフレッシュの機会を提供できます 41。また、子どもたちに地域社会に触れる機会を提供し、多様な人々との関わりを経験させることも重要です 41。例えば、消防署見学やスーパーでの買い物体験、お年寄りとの交流(カルタ、コマ回しなど)は、子どもたちの社会性を育み、新たな興味関心を引き出します 41。レイモンドヒルズ保育園は、「地域共生」をコンセプトに、子どもたちと障がい者、地域住民が触れ合うマルシェやカフェ、広場といったコミュニティを創造し、多様性と個々人を互いに尊重できる社会を目指しています 49。
IV. 行政が果たすべき役割と政策提言
保育園経営の持続可能性を確保し、質の高い保育サービスを安定的に提供するためには、行政の積極的かつ抜本的な政策的支援が不可欠です。
4.1 財政支援の強化と制度の簡素化
4.1.1 公定価格の見直しと処遇改善の確実な実施
保育士の処遇改善は、人材確保と定着の最重要課題です。政府は2022年2月から保育士等の賃金を月額9,000円(収入の3%)引き上げる処遇改善事業を進めていますが 51、賃上げ額が一桁違うとの現場の声も存在します 51。処遇改善加算Ⅰ(勤続年数に応じて月額12,000円~38,000円)、処遇改善加算Ⅱ(役職に応じて月額5,000円~40,000円)といった制度がありますが、支給金額や分配方法は園に一任されており、バラつきが生じています 52。
令和7年度には、処遇改善等加算Ⅰ~Ⅲが一本化される予定であり、これにより制度の複雑さが解消され、行政と事業者の事務負担軽減が期待されます 53。特に、加算額の2/3以上を月額で支給する要件や、加算額を超えて実施した賃金改善を前年度の賃金水準から除くことで、施設独自の改善を行いやすくなる見込みです 53。また、園児数減少等により加算額が減少した場合でも支給額を減額できる仕組みが導入されることで、経営の柔軟性が高まります 53。行政は、この一本化された制度が確実に保育士の賃金改善に繋がり、透明性が向上するよう、運用を厳しく監督すべきです 53。
公定価格については、「25人に1人」の配置基準で26人目の子どもが入園した場合に、保育士が2人必要になるにもかかわらず、公定価格が1人分の加算にしかならない、あるいは加算がないといった定員超過時の費用発生と収入のミスマッチが、私立園の経営を直接的に圧迫する要因として繰り返し議論されています 54。無償化以前に自治体独自の補助金で運営を支えていたケースもあり、無償化によりこれらの収入源が失われた、または補填が不十分である場合、実質的な収入減となる可能性も指摘されています 54。行政は、このような公定価格と実態との乖離を是正し、保育園が健全に運営されるための適正な価格設定を検討すべきです 55。
4.1.2 補助金申請プロセスの簡素化と直接支援の拡充
補助金は保育園経営にとって重要な収入源ですが、申請手続きの複雑さや、確定後でなければ受け取れないことによる資金繰りの圧迫が課題となっています 56。市町村や県でも申請が初めての補助金があるなど、実務面での課題も存在します 56。行政は、補助金申請手続きの簡素化を徹底し、ペーパーレス化やオンライン申請の推進、共通プラットフォームの導入などを進めるべきです 57。これにより、保育園の事務負担を軽減し、経営者が保育業務に集中できる時間を創出することが可能になります 27。
保育士の住宅支援や奨学金返済支援といった直接的な支援策の拡充も重要です 32。東京都江戸川区、大田区、千葉県浦安市、流山市、市川市など、一部の自治体では月額82,000円を上限とする家賃補助や、勤続年数に応じた給与上乗せ、奨励金、新生活準備資金などの独自の処遇改善手当を実施しており、これらの好事例を全国に展開すべきです 52。
4.2 規制緩和と柔軟な運営体制の促進
4.2.1 人員配置基準・面積基準の柔軟化
国の基準を上回る自治体独自の基準が、保育施設の拡充を妨げる要因となることがあります 35。行政は、人員配置や面積基準について、国の定める基準を上回る部分を活用して一人でも多くの児童を受け入れられるよう、市区町村に対して要請すべきです 62。また、小規模保育事業における定員弾力化(19人→22人まで)の推進や、土曜日共同保育の明確化など、柔軟な運営を促す施策も重要です 62。これらの規制緩和は、待機児童の解消や多様な保育ニーズへの対応に寄与します。
ただし、規制緩和は保育の質の低下に繋がる懸念も指摘されており 61、特に企業主導型保育事業においては、助成金の不正受給やノウハウ不足の業者の参入といった問題が発生したため、監査基準が厳しくなる傾向にあります 63。行政は、質の確保と安全性の維持を前提とした上で、過剰な規制を見直し、保育園が地域の実情に合わせて柔軟な運営ができるよう支援すべきです。
4.2.2 企業主導型保育事業の見直しと支援
企業主導型保育事業は、待機児童解消の切り札として導入されましたが、保育の質の低下、保育士不足、定員割れといった課題に直面しています 9。内閣府は、今後、加算の見直し(連携推進加算から管理者設置加算への変更など)や施設長要件の見直し(主任3年以上などキャリアの明確化)を検討しており、これにより収入減となる可能性も指摘されています 64。
行政は、企業主導型保育事業のガバナンス強化(監査項目の明確化、監査員の知識・経験の均質化)と同時に 17、事業者が経営ノウハウを習得し、保育の質を維持・向上できるよう、運営支援サービスやコンサルティングの活用を促すべきです 9。また、病後児保育など、国が推進したい特定のサービス提供へのインセンティブを強化し、企業主導型保育事業が社会全体のニーズに応える役割を明確化することも重要です 64。
4.3 人材育成と確保のための総合的支援
4.3.1 潜在保育士の復職支援と養成機関との連携強化
潜在保育士の掘り起こしと復職支援は、保育士不足解消に不可欠です 32。行政は、保育士・保育所支援センターの機能強化を図り、潜在保育士の掘り起こしから保育事業者とのマッチング支援(職業紹介)までを一貫して実施すべきです 32。マイナンバー等による住所情報の連携・更新を可能にすることで、潜在保育士への再就職働きかけを強化できます 32。就職準備金貸付や保育士宿舎借り上げ支援といった経済的支援に加え 32、就職支援研修や就職相談会、職場体験など、ブランクのある保育士の不安を解消するための実践的な支援も重要です 34。
保育士養成機関との連携を強化し、現場のニーズに即した人材育成を推進することも求められます 33。例えば、ドイツでは実践と学校教育を同時に行う「PIA(Praxisintegrierte Ausbildung)」という制度があり、学生は給料を得ながら実務経験を積むことができます 66。このような実務重視の養成制度は、慢性的な保育士不足を早期に補うために有効なモデルとなりえます 66。
4.3.2 外国人保育士の受け入れ体制整備
外国人保育士の受け入れ拡大は、人材不足対策の一つとして検討されています 35。特定技能1号と2号に保育を追加し、日本特有の価値観や文化に対応するための研修体制を整備することが求められます 35。日本語能力や異文化理解に関する支援、例えば翻訳ツールの活用や外国人相談員の派遣、宗教・文化・習慣への配慮など、受け入れ側の体制を整備することが重要です 19。これにより、多様な背景を持つ保育士が活躍できる環境を整え、保育の質の向上にも貢献できます。
4.4 地域共生社会を見据えた保育システムの再構築
4.4.1 地域ニーズに応じた保育サービスの再編と多機能化推進
少子化による園児数減少と待機児童解消が進む中で、保育園の定員割れが発生している地域も存在します 48。行政は、地域の子どもの数や生産年齢人口の減少といった人口動態を踏まえ、地域における保育の提供のあり方を検討し、保育園の多機能化を推進すべきです 18。
保育所を単に入園児のみを預かる施設ではなく、地域に広く子育て支援を提供する場として活用する案が検討されています 68。空き定員や空き敷地を子育て支援の相談スペースに模様替えしたり、一時預かり事業や地域の子育てサロンの拡充に活用したりすることは、地域の子育て世帯の孤立を防ぎ、地域全体の福祉向上に貢献します 18。渋谷区では、データに基づき子育て支援施設の配置を最適化した結果、支援へのアクセスが困難な地域が47.8%減少し、子育て世帯の区外転出率が13.2%低下した成功事例があります 37。
4.4.2 幼保小連携の強化と切れ目ない支援
「子ども・子育て支援新制度」の今後の課題として、地域や家庭環境による格差の是正、幼保小の接続の強化が挙げられています 18。行政は、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の共有を含め、幼児教育・保育と小学校教育との接続の一層の強化を図るべきです 18。医療的ケア児、障害児、外国籍の子どもなど、特別な配慮が必要な子どもへの支援のためには、教育と福祉の一層の連携強化が不可欠です 18。
自治体レベルでは、こども政策の司令塔部局や総合調整部局の設置、こども政策関係部局間の連携向上に資する人事上の工夫、小学校就学前の教育・保育の担当部署の集約、研修の一体的実施などが、円滑な幼保小連携を推進する上で有効な事例として報告されています 70。
4.5 国際的な成功事例からの示唆
4.5.1 フランスの家族政策と保育モデル
フランスは、家族給付の水準が全体的に手厚く、特に第3子以上の子を持つ家族に有利な制度が特徴であり、少子化対策に成功し、合計特殊出生率を回復させています 71。総予算955億ユーロ(約13兆円)のうち、財源の6割が企業負担という構造も特徴的です 74。
フランスの保育サービスは多様であり、集団的な保育所だけでなく、保育ママによる家庭的保育も充実しています 75。3歳以降はほぼ100%が保育学校に就学し、無償で提供されています 76。親の就労状況に関わらず保育サービスが利用できる柔軟な制度も、女性の就業継続を支援しています 76。また、養育費の立て替え払い制度や男性育休の義務化(取得率100%)など、多様な家族のニーズに応えるきめ細やかな支援が展開されています 74。日本は、経済的支援の強化、多様な保育サービスの拡充、そして企業を含めた社会全体での費用負担のあり方について、フランスの事例から学ぶべき点が多くあります。
4.5.2 スウェーデンの育児休業と就学前教育
スウェーデンもまた、少子化対策に成功している国の一つです 72。子ども1人につき480日間の育児休業が認められ、そのうち90日間は父親と母親がそれぞれ取得義務があり、休業直前の8割の所得が1年半にわたり保障される「両親保険」制度が充実しています 77。これにより、女性の労働力率は逆U字型となり、出産後も就業を継続する女性が多いのが特徴です 78。
就学前教育は1歳から5歳の子どもを対象に就学前学校で行われ、3歳から5歳児は年間525時間が無料で提供されます 79。保護者が失業または休職中でも週最低15時間は通うことができ、「すべての人に就学前教育を」という理念のもと、子どもの学習権が保障されています 79。小学校から大学までの学費は公立・私立を問わず無料で、教材も無償貸与されるなど、教育への平等なアクセスが徹底されています 77。
スウェーデンでは、男女ともに午後6時前には帰宅する人が多く、残業が少ない労働環境も、仕事と子育ての両立を可能にしています 78。日本の政策は、政策メニューとしては充実してきたものの、運用面での隔たりが大きいと指摘されており 77、スウェーデンのように、育児休業の取得促進、就学前教育の無償化・質の確保、そして社会全体でのワークライフバランスの推進といった、制度と社会意識の両面からの改革が求められます。
V. 結論と提言
日本の保育園経営は、少子化による園児減少、保育士不足、運営コストの高騰、そして経営ノウハウの不足という複合的な課題に直面し、その持続可能性が危機に瀕しています。この状況を打開し、未来にわたって質の高い保育サービスを安定的に提供するためには、保育園経営者と行政がそれぞれの役割を認識し、連携を強化することが不可欠です。
保育園経営者への提言:
- 経営の多角化と効率化の推進:
- 財務基盤の強化: 食材の共同購入、光熱費の削減、保険の見直しなど、徹底したコスト管理を実施し、無駄を排除します。同時に、延長保育や一時預かり、地域の子育て支援事業への参画、さらには幼老複合施設や児童発達支援サービスの併設など、多様なサービス展開による収益源の多角化を図ります。
- 経営マネジメント能力の向上: 財務管理ソフトの導入や外部専門家(経営コンサルタント、会計士など)の活用を通じて、経営戦略の立案、予算管理、補助金申請の最適化を図ります。
- ICTの積極的導入: 連絡帳のアプリ化、登降園管理のデジタル化、写真販売のオンライン化など、ICTツールを積極的に導入し、保育士の事務作業負担を大幅に軽減します。これにより、保育士が子どもと向き合う時間を増やし、保育の質の向上に繋げます。
- 魅力的な職場環境の整備と人材育成:
- 労働条件の改善: ICT活用による業務効率化に加え、柔軟なシフト制の導入、ノンコンタクトタイムの確保、1時間単位での有給休暇取得など、保育士のワークライフバランスを重視した働き方を推進します。
- キャリアパスの明確化: 厚生労働省のキャリアアップ研修を積極的に活用し、副主任保育士などの役職に応じた明確なキャリアパスと処遇改善を提示します。定期的な1on1面談を通じて、個々の保育士の成長を支援し、モチベーションを高めます。
- 多様な人材の活用: 潜在保育士の復職支援制度を積極的に活用し、ブランクのある保育士が安心して再就職できる環境を整備します。外国人保育士の受け入れも視野に入れ、異文化理解や日本語支援体制を構築します。
- 地域に根差した質の高い保育の提供:
- 独自の保育プログラムの確立: 園の特色を明確にし、地域特性に応じた独自の教育プログラム(例:自然体験、食育、多言語教育)を導入します。
- デジタルマーケティングの強化: ホームページやSNSを活用し、園の魅力や日々の活動を積極的に発信することで、保護者への情報提供を充実させ、園児募集を強化します。
- 地域連携の深化: 園庭開放、子育てサロン、地域イベントへの参加などを通じて、地域住民や企業との連携を強化し、地域の子育て支援拠点としての役割を確立します。これにより、園の信頼性とブランド力を向上させます。
行政が果たすべき役割と政策提言:
- 安定的な財政支援と制度の簡素化:
- 公定価格の適正化: 保育士の配置基準と公定価格の乖離を是正し、保育園が質の高い保育を安定的に提供できるような適正な公定価格を設定します。特に、定員超過時の加算や、物価高騰に対応できる柔軟な価格調整メカニズムを導入すべきです。
- 処遇改善加算の確実な運用: 処遇改善等加算の一本化を円滑に進め、その財源が確実に保育士の賃金改善に繋がるよう、透明性の高い運用と厳格な監督を行います。自治体独自の家賃補助や奨学金返済支援など、保育士への直接的な経済支援策を全国的に拡充します。
- 補助金申請の簡素化: 保育園の事務負担を軽減するため、補助金申請手続きのデジタル化、共通プラットフォームの導入、オンライン相談窓口の拡充など、申請プロセスの抜本的な簡素化を推進します。
- 規制の見直しと多様な保育形態の促進:
- 人員・面積基準の柔軟化: 地域の保育ニーズや実情に応じた、より柔軟な人員配置基準や面積基準の適用を検討します。ただし、保育の質と安全性の確保を前提とし、安易な基準緩和は避けるべきです。
- 企業主導型保育事業の再評価と支援: 企業主導型保育事業のガバナンスを強化し、監査基準の明確化と運営支援を徹底します。同時に、病後児保育など、社会的に必要とされる多様な保育サービス提供へのインセンティブを強化し、その役割を再定義します。
- 幼保小連携の強化: 幼児教育・保育と小学校教育の連携を一層強化し、切れ目のない子どもの成長支援体制を構築します。医療的ケア児や障害児、外国籍の子どもなど、特別な配慮が必要な子どもへの支援体制を充実させるため、教育と福祉の連携を深めます。
- 人材確保・育成のための総合的戦略:
- 潜在保育士の復職支援の強化: 保育士・保育所支援センターの機能を強化し、潜在保育士の掘り起こしからマッチング、復職後の定着支援までを一貫して行います。復職支援研修や職場体験の機会を拡充し、ブランクのある保育士が安心して現場に戻れるよう支援します。
- 外国人保育士の受け入れ促進: 特定技能制度の活用を検討し、外国人保育士の受け入れを拡大します。同時に、日本語研修や日本文化・保育慣習に関する研修体制を整備し、円滑な受け入れと定着を支援します。
- 国際的な成功事例の導入: フランスやスウェーデンなどの少子化対策成功国の事例を参考に、育児休業制度のさらなる充実、就学前教育の無償化と質の確保、企業を含めた社会全体での子育て支援のあり方について、日本に適した形で導入を検討します。
保育園経営の持続可能性は、単に個々の園の努力に留まらず、行政の政策的支援と社会全体の理解と協力によって初めて実現されます。経営者と行政が密接に連携し、子どもたちの健やかな成長を社会全体で支える「地域共生社会」の実現に向けて、未来志向の保育システムを共に構築していくことが、今、最も求められています。
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