公明党は、創価学会との関係について「支持団体と支持を受ける政党という関係であり、憲法違反には当たらない」との公式見解を示しています。しかし、両者の歴史的経緯や数々の証言、そして憲法第20条の「政教分離」の原則を深く考察すると、その関係性が憲法上の疑義と無縁であるとは言い切れない側面が浮かび上がってきます。
公明党の主な見解とそれに対する反論
1. 「池田大作創価学会会長(当時)の発意によって結成された」が、「あくまでも支持団体と支持を受ける政党という関係」であるという主張について1
- 反論: 公明党の結党(1964年)の経緯は、単なる「発意」や「支持」という言葉だけでは説明しきれないほど、創価学会と深く結びついていました。
- 創価学会による組織的・理念的設立: 公明党は創価学会の政治進出の手段として、その組織力、資金力、そして「王仏冥合(おうぶつみょうごう)」(仏法と王法=政治が一体となるべきという思想)という宗教的理念を背景に設立されました。当初の綱領には「王仏冥合・仏法民主主義」が明記され、創価学会の理念を政治で実現することが目指されました。元委員長の矢野絢也氏や竹入義勝氏の証言によれば、党の重要人事や政策決定において池田大作名誉会長(当時会長)の指示や承認が不可欠であったとされています。これは単なる「支持」関係を超えた、実質的な一体性を示唆します。
- 「国立戒壇」構想: かつて創価学会・公明党が掲げた「国立戒壇」の建立構想は、特定の宗教(日蓮正宗、当時の創価学会が帰依)の教義に基づく施設を国家の力で建立しようとするものであり、特定の宗教と国家の密接な結びつきを目指すものでした。この構想は後に批判を受け撤回されましたが、初期の公明党が目指した方向性の一端を示しています。
2. 「公明党は国民全体に奉仕する国民政党」であるという主張について
- 反論: 公明党の政策決定や議員の行動において、創価学会の組織防衛や利益が優先されているのではないかという疑惑は長年にわたり指摘されています。
- 「言論出版妨害事件」(1969年~1970年): 創価学会・公明党に批判的な書籍の出版を阻止しようとしたこの事件は、社会から「政教一致」であるとの厳しい批判を浴びました。この事件を機に、公明党は綱領から「王仏冥合」を削除し、創価学会も公明党への「支持」を明確化するなど、表面的な分離の体裁を整えましたが、実質的な関係性が変わったかについては疑問が残ります。
- 組織票と選挙活動: 公明党の選挙運動は、創価学会の組織力に大きく依存していると広く認識されています。学会員による集票活動(「F取り」と呼ばれる友人・知人への投票依頼など)や、創価学会関連施設が選挙活動の拠点として利用されているとの指摘もあります。これが事実であれば、特定の宗教団体が組織的に特定政党の選挙を支えるという構造は、他の宗教団体や無宗教の国民との間で公平性の観点から問題視される可能性があります。
- 元幹部の証言: 矢野絢也元公明党委員長は著書「黒い手帖」などで、創価学会が公明党の人事、財政、政策に深く関与し、党が学会の意向に逆らえない実態を暴露しています。この証言は、公明党が「国民全体に奉仕する」というより、まず創価学会の意向に応える構造になっている可能性を示唆します。
3. 「『政教一致だ』とか『憲法20条に違反した関係にある』などの批判は全く的外れであり、既に国会の論戦の場でも決着済みのこと」という主張について
- 反論: 「決着済み」という公明党の主張は、一方的な解釈に過ぎない可能性があります。
- 国会論戦の実態: 公明党が「決着済み」とする根拠の一つに、1970年の政府答弁(宗教団体やそれが実質的に支配する団体の政治活動は政教分離原則に反しないとする見解)や、1994年の冬柴鐵三議員(当時)と政府(大出峻郎内閣法制局長官)との質疑応答などがあります。これらの中で政府は、宗教団体が政治活動を行うこと自体は憲法違反ではないという見解を示しています。
- 論点のズレ: しかし、これらの政府見解は、宗教団体が一般的な政治活動を行うことの可否を述べたものであり、特定の宗教団体が特定政党を組織的に支配し、その党が国政に関与する場合の憲法適合性について踏み込んだ判断を示したものではありません。批判の核心は、公明党と創価学会の「一体性」の度合いが、憲法20条第1項後段(いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない)や第3項(国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない)が禁じる「政治上の権力を行使」や「宗教的活動」に実質的に該当するのではないか、という点にあります。
- 「言論出版妨害事件」の社会的影響: この事件が示したように、社会は両者の一体的な行動を「政教一致」として問題視しました。法的な「決着」とは別に、国民感情や憲法の精神に照らして問題が解消されたとは言えません。
4. 「憲法が規制対象としているのは、『国家権力』の側です。つまり、創価学会という支持団体(宗教法人)が公明党という政党を支援することは、全く憲法違反に当たりません」という主張について
- 反論: この解釈は、憲法第20条の「政教分離」原則の一側面しか捉えていません。
- 憲法第20条の多義性: 憲法第20条は、国家が宗教に介入すること(国家の宗教的中立性)を禁じるだけでなく、宗教団体が国から特権を受けたり、政治上の権力を行使したりすることも禁じています(第1項後段)。公明党が政権与党として国政に深く関与し、その意思決定プロセスに創価学会の意向が強く反映される場合、それは創価学会が公明党を通じて間接的に「政治上の権力を行使」していると解釈できる余地があります。
- 「国家の非宗教性」の原則: 憲法学の通説では、政教分離は国家の宗教的中立性・非宗教性を確保することを目的としています。特定の宗教団体が特定政党と極めて密接に結びつき、その政党が国政に影響力を行使する場合、国家の意思決定が特定の宗教的価値観によって歪められる危険性が生じ、国家の非宗教性が損なわれる可能性があります。これは、単に「国家権力が特定宗教を擁護・強制する」ことだけを禁じるという公明党の狭い解釈では捉えきれません。
- 実質的評価の必要性: 形式的に国家機関ではない宗教団体が、実質的に政治権力を行使するような事態を憲法が容認しているとは考えにくいです。問題は、創価学会の公明党への「支援」の度合いが、社会通念上「相当とされる限度」を超えていないか、そしてそれが実質的に宗教団体による政治権力の行使に当たらないか、という点です。これには、組織の人的・財政的・政策的結合の度合いを総合的に判断する必要があります。
- 判例の射程: 最高裁判例(津地鎮祭訴訟、愛媛玉串料訴訟、空知太神社訴訟など)は、主に国家と宗教との関わりにおける「目的・効果基準」や「総合的判断」を示したものですが、これらの判例の根底にある政教分離の精神は、宗教団体と政党との関係にも示唆を与えるものです。つまり、その関わり合いが「我が国の社会的・文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められるか否か」という視点からの検討が求められます。
まとめ:有権者として考えるべきこと
公明党と創価学会の関係は、単純な「支持団体と政党」という言葉だけでは片付けられない複雑な背景と実態を持っています。公明党の公式見解は、憲法第20条の解釈や過去の経緯において、いくつかの重要な論点を見過ごしているか、あるいは意図的に狭く解釈している可能性があります。
有権者の皆様には、以下の点を考慮し、ご自身で判断していただきたいと思います。
- 透明性と説明責任: 両者の関係における意思決定プロセスや資金の流れは十分に透明化され、国民に対して説明責任が果たされているか。
- 憲法の精神: 形式的な憲法適合性だけでなく、憲法第20条が保障する信教の自由、そして政教分離の「精神」に照らして、現在の両者の関係は本当に問題がないと言えるか。
- 多様性の尊重: 特定の宗教的価値観が、その団体と一体化した政党を通じて、国政に過度な影響力を持つことは、多様な価値観を持つ国民全体の利益と調和するか。
これらの点を踏まえ、公明党と創価学会の関係性について、そしてそれが私たちの社会や政治にどのような影響を与えうるのかを、主体的に考えていくことが重要です。
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