東洋水産「赤いきつね」CMに噛みつくフェミニストたちの異常性(戸谷洋志准教授の発言について)

戸谷洋志准教授のXでの発言について

某カップうどんのCMの話。あれが性差別的に見えるか否かは、それを観察する者の認識論的条件に左右される。あれが性差別的に見えない人は、日常的に性差別の脅威にさらされていない人ではないか。「自分には性的に見えない」という主張は、それを性差別的だと認識する人への決定的な反論にはならない。
僕は、最初あれは性差別的に見えなかったが、それが性差別的に見えるとする人の話を聞いて、見方が変わり、反省した。女性を性的に描くことを自明とする社会において、女性は公共空間において性的な言動を差し向けられ、その脅威を回避するために、そこから排除される。そこには明らかな差別がある。
僕が、最初あのCMが性的に見えなかったのは、明らかに僕がそうした性差別の脅威から免れているからだ。僕と、そうした脅威に日常的にされているひととは、認識論的条件が異なるのであり、だからこそあのCMに対する見方も異なる。そしてそのとき優先されるべき見方はどちらだろうか。後者ではないか。
なるほど、あのCMが性的に見えない、ということは事実かも知れない。しかし、その主張が、あのCMが性的に見えるという主張を覆せる、と考えるほどに、自分が性差別に脅かされる人に対して発言力があると考える人は、いったいどれだけ、それ以外の場面で性差別を根絶するための闘争をしているのだろう
少なくとも、これみよがしに、「僕はあれは全然性的だと思わなかった」と主張する人は、公共空間において性的な言動の脅威に苦しむ人の生き辛さを1%でも想像する努力をするべきだと思う。想像できないなら、想像力を拡張するための具体的な行動をするべきだと思う。
ついでに言うとね、「どこが性的なのか分からないから教えて」という要求自体が、相手に性的な言動を指し向ける暴力ですからね。そういう人は、少しは自分の暴力性を自覚した方がいいですよ。

戸谷洋志准教授の発言に関する批判

戸谷洋志准教授の発言には、学術的な立場にある者として極めて問題があり、厳しく批判されるべきです。


1. 論理的破綻

(1) 朝田理論の踏襲

戸谷氏の主張は、論理的に破綻した「朝田理論」を現代に復活させようとするものです。この理論は、差別の定義を被差別者の主観のみに委ねるという非合理的な考え方であり、学術的な妥当性に欠けます。

(2) 認識論的条件の誤用

「認識論的条件」という学術用語を用いて自説を正当化しようとしていますが、これは論理的な整合性を欠いた詭弁に過ぎません。

(3) 科学的根拠の欠如

戸谷氏の主張は、女性の方が男性よりも赤面反応が強いという科学的知見を考慮していません。このような客観的な事実を無視することは、議論の質を低下させます。


2. 学術的倫理の欠如

(1) 客観性の無視

准教授という立場にありながら、科学的根拠や客観的な分析を完全に無視しています。これは学術的倫理に反する行為です。

(2) 多様性の否定

性差別を感じない人を一括りに「性差別の脅威にさらされていない人」と断定することは、個人の経験や価値観の多様性を否定する偏狭な見方であり、多様性を無視した過度の単純化です。

(3) 表現の自由への影響

戸谷氏の主張を受け入れると、クリエイティブな表現が過度に制限される可能性があります。これは表現の自由を侵害する言動であり、許されるものではありません。


3. 社会的影響力の濫用

(1) 対話の抑圧

「どこが性的なのか分からないから教えて」という質問を「暴力」と断定することで、建設的な対話や相互理解の機会を閉ざしています。極めて閉鎖的な思考だといえます。

(2) 想像力の強制

CMを性的だと思わない人に対して「想像力を拡張するための具体的な行動」を要求することは、個人の思考の自由を侵害する行為です。特定の見方を強制しようとしており、許されることではありません。


4. 利益相反の疑い

(1) セミナー開催との関連

戸谷氏は「広告炎上チェッカー」企業の代表であり、この発言後に有料セミナーを開催しています[2]。この点から、学術的立場を私的利益のために利用している可能性が指摘されます。


5. 結論

戸谷准教授の発言は、学術的誠実性を欠き、社会的な対話を阻害し、さらには私的利益のために自身の立場を利用している可能性があります。このような言動は、大学教育者として不適切であり、厳しく批判されるべきです。学術界は、このような非論理的かつ偏狭な見解を容認すべきではありません。

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